【No.429】
秋入学を学生の学習意欲・授業理解度向上のための教育改善という視点で考える-最終回-

 

○●○秋入学を学生の学習意欲・授業理解度向上のための教育改善という視点で考える-最終回-○●○
 「独り暮らしの老女の家に侵入、現金百万円を奪ったが、逃走しようとしたところを家人に見つかり、警察に通報されそうになったので、持っていたドライバーで刺殺。・・・報道に誤りは殆どなかった。唯一正確でなかった点といえば動機についてだった。『仕事がなくなり、生活するお金に困って』という表現を使っていた。・・・真の動機は、弟の進学費用が欲しかったから・・・どうしてそんな馬鹿なことを、と思った。だが同時に、それならわかる、という気持ちもあった。あの兄がたとえ一瞬にせよ自分を見失ったのだとしたら、その原因は一つしかない。弟を守るため、だ。『な、頼むから大学には行ってくれよ』そういって手刀を切る姿を何度も見ている」(東野圭吾『手紙』毎日新聞社、2003年)。すでに国民的作家とも言える東野氏の代表作の一つで、文春文庫版は1ヶ月で100万部以上を売り上げ同社最速のミリオンセラーとなったとされる小説である。読まれた方も多いと思う。殺人とは、家族のつながりとはという永遠のテーマを、正面から描き切った力作である。
 弟は、高校卒業後就職するが、やがて大学を目指す。「高校の参考書や問題集で勉強した。忘れていたことも多かったが、一年前までは必死で学んだ内容だけに、記憶に焼き付け直すのにあまり時間はかからない。大学の通信教育部に入るのに入試はない。書類選考だけだ。それでも高校での勉強をやり直しているのは、かつての学力を取り戻したいからだった。そのうえで大学生になり、高度な知識を上乗せしていきたかった」
 今年春以来、このセンターニュースで秋入学と学習意欲について書き続けてきた。今回を最終回とするが、この間、常にこの小説のことが気にかかっていた。ことの次第の出発点は、なんとしてでも弟を大学に行かせたいという兄の一念である。その気持ちが分からなければ、あるいはそれは嘘だと思ってしまえば、一ヶ月に100万人が読むなどという社会現象は起きない。新聞小説としての連載が始まった2001年の日本の人々の気持ち、具体的には大学観を見事に掴んだものと私は理解している。家族の期待を背負って大学に進学するという学生たちがたくさんいる。そして家族の思い、本人の思いは、この小説に描かれているように実に多様である。私たち大学人はそのことの重さを受けとめねばならない。
 さて、ここからは、教育行政の話である。
教育振興基本計画というのがある。教育基本法に基づき閣議決定され、日本の教育政策の最も根幹をなすもので、現在、第二期の計画について議論されている。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo9/shiryo/1326999.htmには、10月22日に開催された中教審の教育振興基本計画部会(第22回)配付資料が掲載されている。その参考資料1審議経過報告で注目すべきは、第一期(平成20~24年度)の教育振興基本計画では、まったく触れられていなかった、大学における「多様な学生の増加」が明確に目標として示されていることである。
 すなわち、「社会を生き抜く力の養成」として、具体的に2番目に「課題探求能力の修得」が掲げられ、その成果指標例として、「①各大学における学修時間の把握状況の改善、十分な質を伴った学修時間の実質的な増加・確保(欧米並みの水準) ②学修支援環境の改善 ③全学的な教学システムの整備状況の向上(教育課程の体系化、組織的な教育の実施、授業計画の充実など) ④大学教育への学生、卒業者、企業・NPO等の評価の改善」と並んで、「⑤多様な学生(社会人入学者、障害のある学生等)の増加」と明記されているのである。
8月の中教審答申「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~」では、学修時間をめぐる指摘が注目されており、教育振興基本計画の議論でもそれが反映されている。今後、高等教育改革の焦点になる。だが、大学改革実行プランにも既に示されていた「多様な学生(社会人入学者、障害のある学生等)の増加」が政策課題の一つとなったことを私は特に強調したい。
どれだけ多様な学生を多く受け入れているかが、日本の高等教育全体を評価するときの重要な物差しになるというのである。平成25年度からは、このことが国の高等教育政策の基本に据えられることになる。
当然、個々の大学、短大、高専が、多様な学生を受け入れ、きちんと支援し、「生き抜く力」、課題探究能力を身につけた社会人として送り出すことに努めることが求められる。それが個々の大学等のミッションの一つになる。より多くの社会人学生、より多くの障害学生を受け入れた大学が、より高く評価される、そんな時代がやってくる。
私自身、大学院で社会人の指導は経験してきた。本務校では市役所勤務の院生に、非常勤先では現役医師たちに夜間講義を行ってきた。障害学生のいる授業ではそれなりの工夫をしてきた。ただし、これからはもっと多くの、多様な背景を持つ学生たちを受け入れることが大学には求められるというのである。
 『手紙』の主人公、そしてその兄の人生は、大学というものに翻弄されたという解釈も成り立つ。作中では、強い動機もなく大学に進学した一般学生たちの遊びほうけたような描写もある。これも大学の真実であろう。それが、入学時期を変更すれば、どう変わるというのか、じっくり考えねばならない。
 ちょうど、本学の人間社会学域共通科目『大学・学問論』で、約100人の受講生によるグループワークを終えたばかりである。テーマは、大学の学びとは何か、であった。熱い議論とプレゼン大会になった。提出されたミニッツペーパーのどれも、興奮さめやらぬ受講生たちの、学習意欲宣言ばかりである。一人の教員としてはこれぐらいしかできないが、大学に対しては、入学前はいざしらず、在学中になんども学ぶ意欲に点火する機会を学生たちに与え続けるカリキュラムを、学修環境を、学習支援のシステムを提案し続けていきたい。(文責:教育支援システム研究部門 青野 透)
 
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