【No.409】
秋入学を学生の学習意欲・授業理解度向上のための教育改善という視点で考える-その4-

 

○●○秋入学を学生の学習意欲・授業理解度向上のための教育改善という視点で考える-その4-○●○
 授業は内容が第一である。授業方法の工夫は、あくまでも授業内容をいかに正確に学生に理解してもらうか、それに基づく丁寧な思考を促すか、という目的のための手段の改善でしかない。もちろん、双方向授業や学生参加型授業は、全ての大学で求められているコミュニケーション能力育成を90分の授業時間内で行うという点でも優れている。私自身、グループワーク、学生による授業企画、ミニッツペーパー、そしてクリッカーと様々に授業方法の改善を行ってきた。だが、双方向・多方向である、あるいは学生に参加させることだけが授業の目的だなどということはありえない。教室で90分15回の授業を基本とする以上、教室で何を教えるか、これこそが学校教育の要である。教師は教壇に立ってこそ存在価値がある。ティーチングからラーニングへという発想も必要であり、受講後の学修につながる学習意欲を授業内で喚起するという観点からも、内容をいかに良くするか、このための努力がますます大学教師に求められている。
さて、『週刊 教育資料』(日本教育新聞社)2012年6月25日号で、当センター客員研究員の松田淑子福井大学教育地域科学部教授が、「『総合的な学習の時間』と高大接続」と題して寄稿されている。示唆に富む内容であるが、その中で、次のような事例が紹介されている。
 「山梨県立塩山高校の廣瀬志保教諭は、「総合」の授業「生命」において、看護・医療系への進路を希望する生徒たちに向け、臓器移植など生命倫理に関するテーマや、命のビザに象徴される杉原千畝の生き方を題材にし、生徒自身が考える授業を展開している。この「総合」での廣瀬教諭の試みにより、知識注入型に慣れ切った生徒たちの学びの姿勢が変わった。そして生徒たちの意欲的に学ぶ姿に、今度は廣瀬教諭が触発され、自らの専門科目である生物の授業も主体的な学びの授業へと変化させていった。さらに廣瀬教諭は、他の「総合」の授業において、他教科教員たちをも巻き込んで、協働探究を重ねながら授業を創り出すという組織的拡がりも実現させていった。授業者の一歩から生徒が、授業が、教員が、そして学校が、双方向に響き合いながら変わっていったのである。」
 高校でこのような授業実践が既に行われている。方法の工夫と内容の吟味の結果である。私たちが大学の教室で向き合っている受講生たちの中にもこうした学習経験のある学生がいるかもしれない。これを前提に個々の科目の授業設計をしなければならないのである。
 第404号(2012年5月21日)でも紹介した私担当の共通教育科目「医事法入門」の授業で、6月14日、受講生たちは「1 法改正後の現在も、他の国に比して、臓器提供者が少ないのはなぜか。」「2 臓器移植法第三条は『 国及び地方公共団体は、移植医療について国民の理解を深めるために必要な処置を講ずるよう努めなければならない』と定めているが、今なお、一般の人々の移植医療に関する知識が不足しているとすれば、国や地方公共団体はどのような情報をどのような形で提供すべきか。また、そのさい、医療従事者はどのような役割を担うべきか。」についてグループワークを実施し、プレゼンおよびクリッカーを用いた学生相互評価を行った。
 3週間前からの課題追求である。その間には、「知識のアウトプット実践」すなわち、受講生たちは、「脳死状態での臓器提供について、自分は・・・という理由で、提供・・・と考えています。 また、自分の家族が脳死状態になり、本人が提供について意思表示をしていないとき、・・・ という理由で、提供・・・と考えています。あなたはどうですか。考えを聞かせてください。 なお、脳死移植と法について疑問があれば、私の知る限りで回答します」 という問いかけを、出来る限り多くの人、属性の多様な人に対して、試みるという作業を行っていた。その結果をポータルに書き込み、それに基づくポータルでの議論を行った上での教室でのグループワークである。
 この間、気をつけたのは、移植医療についての正確な理解のための資料提示である。受講生たちは、日本移植学会、日本角膜移植学会、日本腎臓学会、日本病院学会などにおける私の報告内容を事前に読んでいる。さらに、小柳仁「グローバルスタンダードまでに40年を要した日本の脳死臓器移植から何を学ぶか」 『移植』46巻6号(2011.12)などの邦語文献のほか、「Effect of donor smoking on survival after lung transplantation: a cohort study of a prospective registry」、The Lancet, Online Publication, 29 May 2012や「Perioperative Mortality and Long-term Survival Following Live Kidney Donation」JAMA(米国医師会雑誌)2010;303(10):など、医学教育の専門で、そして医療従事者になって必ず読むことになる専門雑誌に最近掲載された論文などを読んでの考察である。グループワークでもそれらからの引用に基づく立論が行われた。
 偏見や不確かな知識にもとづく議論は生産的でない。塩山高校の生徒たちのように高校教育で移植医療について一定の知識と問題点について学んできている可能性がある。初めて臓器提供問題について考えることになった受講生の場合を含め、大学1年生に、最先端の研究成果を理解できるように、そして興味が湧けばもっと深くまで探究することができるように、授業内容を精査する、それが高等教育機関の教師の務めである。そのために学会誌を読み、学会に出かけ、他の研究者たちと意見交換を繰り返している。高校の先生方に授業内容で負けるわけにはいかない。
 そして、授業はもちろんライブである。今日、この日本で、この大学の受講生とともに考えるための授業である。オープン・コース・ウェアの利用ではない。前回の受講生ミニッツペーパーから引用して、振り返りから授業を始める。ポータルでの議論を紹介する。180人の学生たちの眼を見ながら、反応を確認しながら、スピードを上げるべきところ、なんども繰り返して理解を確認するところなど、その場で臨機応変の授業進行となる。さらに、先週などは、富山大学附属病院における6歳未満の小児の脳死判定、そして臓器提供という全国紙全て一面トップのニュースが飛び込んでくる。それについての受講生の感想を求め、コメントを加える。そうした社会の動きを反映しながらの授業内容の確定である。授業準備・設計に時間をかけて、内容を吟味し、方法をシミュレーションしていけば、授業はきちんと生きて動き出す。
 東京大学の『将来の入学時期の在り方について(報告)』では、「教員についても、学年の途中にある現行の長期休業期間は、講義や大学院入試等との関係から、周到な授業準備・・・に充てにくい実情にある。これに対し、秋季入学を導入する海外の大学にあっては、同様の問題は見られない」として秋入学を推奨している。入学時期の検討は学生の教育にとって良いのかどうかの観点から行われる。したがって、入学時期を変更すれば、今以上に周到な授業準備が教員に可能になり、授業の内容が優れたものになり、その結果、学生の学習の質が高まり、学修時間が充実したものになるのか、ということが、この問題について中心的な論点となるのである。
(文責:教育支援システム研究部門 青野 透)