【No.574】
「アップデートするFD」

○●○「アップデートするFD」○●○

 

 この度、大学教育開発・支援センターに赴任いたしました吉永契一郎です。

 最近、仏教関連の入門書の充実ぶりには、目を見張るものがあります。これも、混迷の時代を生き抜くために、多くの人々が指針を求めている世相を反映しているからでしょう。

 その中でも、特に、私の関心を引いたのは『アップデートする仏教』[1]です。著者たちによれば、仏教は常にアップデートしており、形骸化した従来の仏教(教え)が1.0、ヨガや瞑想等修行重視の仏教が2.0、そして、テクニックを超えた生き方や心の持ち方(悟り)を説く仏教が3.0ということなります。特に、お釈迦様は、悟りは、自己の想定した理想や苦行の先に待つものではなく、認識の転換によって起こるものであるとしました。それを著者たちは、「思い(シンキング・マインド)」の手放しであると表現しています。同じことを、道元禅師は、「非思量」や「自己を忘る」と表現しました。

 私は、この仏教理解の段階説が、これまでの大学におけるFDにも当てはまるような気がしています。大衆化・グローバル化・市場化・少子化という高等教育の置かれた状況から、教育改善の重要性を理解することが1.0であるならば、授業準備によって、教育方法や内容の改善に力を注ぐことが2.0でしょう。そして、この「修行」段階では、負担の増加を恐れる先生方に、FDに対する拒否反応を生み出していること、また、熱意のある先生方ほど、期待に沿う成果が得られないことに徒労感を持たれていることは否めません。

 では、FD3.0はどのようなものになるでしょうか。私は、そのヒントがアクティブ・ラーニングにあると考えています。これまで、学生中心主義や課題探求能力が、教育理念として強調されてきましたが、今日、知識基盤社会との関連で、主体的な思考や行動を行う人材の育成は、ますます重要性を増しています。これは、大学教育における認識論の転換点です。

 アクティブ・ラーニングの推進者たちによれば、通常の講義によって得られる知識の定着度は低く、また、人間が他人の話を聞いて、集中できる時間は、せいぜい15分間とされています。であれば、講義において、一方的な知識の伝達はテキストに任せるべきで、教室に出席しなければできない活動、すなわち、質問をしたり、議論をしたり、発表をしたりするなど、学生の主体的な参画が行われる協働型の学習が中心にならざるを得ません。アクティブ・ラーニングの精神を、仏教の言葉で語るならば、個よりも縁起に基づき、「今、ここ」における学びを重視するということになるかも知れません。

 残念ながら、今日、学生に対して、予め学習意欲や生活経験を前提とすることは難しくなっています。しかしながら、そうであればこそ、学生自身が活動に参加し、自ら達成度を確認しながら、知識や技能を身につけるという教育手法が求められます。

 昨年度の秋、私はシドニー大学工学部を訪問する機会があり、アクティブ・ラーニング・スタジオでの講義を見学しました。そこでは、講義であるにも関わらず、学生が5〜6名のグループで、それぞれテーブルを囲み、予習してきたテキストの箇所に関して、疑問点を話し合ったり、白板で演習問題を解いたりしていました。教員の役割は、単に、各テーブルを回って、時折、質問に答えるという程度でした。

 ここでは、教育内容や教材教材に関しては、教員が設計をしていますが、テキストの内容を教室で繰り返すことはしていません。つまり、「白熱教室」とは異なり、教員は「黒子」の役に徹しています。これは、教育の「手放し」とも言えるものです。

 アクティブ・ラーニングに関しては、研究が始まったばかりです。どのような分野で、どのような手法を、どの程度の回数、用いるべきかについては、これから知見が積み上げられて行くことと思います。いずれにせよ、教育に関しては、教員の関心や分野の水準がすべてというあり方が問われていることは、間違いありません。

 今後、私は、学生が、日々、達成感を持ちつつ、大学で学び、自信を持って社会に出て行くことができるよう、センターでの活動に従事したいと考えています。どうぞよろしくお願いします。(文責 教育支援システム研究部門 吉永契一郎)

 

 

●○●大学教育再生加速プログラム第3回教学IR研修会●○●

主 催 大学教育再生加速プログラム検討委員会

日 時 2月10日(水)14時30分~16時00分

会 場 総合教育1号館2階大会議室(角間キャンパス)

講 師 茨城大学大学戦略・IR室准教授 嶌田敏行氏

テーマ 「茨城大学のIR~組織立ち上げから現在の運営に至るまで~」

 



[1]藤田一照・山下良道『アップデートする仏教』(幻冬舎新書)2013年。