【No.533】
アクティブラーニング(能動学習)からディープラーニング(深い学習)へ(その10):学生への期待と希望を伝える、初年次からの教師の役割(筑波大学・化学セミナー講演報告)

○●○ アクティブラーニング(能動学習)からディープラーニング(深い学習)へ(その10):学生への期待と希望を伝える、初年次からの教師の役割(筑波大学・化学セミナー講演報告) ○●○

いま、なぜ大学で学問を修めるのか。この問いは、大学に入学する初年次学生の期待する学びの深さを決定づけ、また人生を学ぶことへの動機づけにつながる。大学における正課の講義・正課外の学生生活と活動を通して、やがて市民として考え行動する人としての在り様をそれぞれに獲得する移行期間として「大学」の存在意義は問われている。

アクティブ・ラーニングの定義について、「聴く」という学習行動だけでは深い学びにつながらないという指摘がなされてきた。ChickeringとGamesonは、『学習とは、観客席に座ってスポーツを見るようなものではない。学生は、授業中ただ座って教員の話を聴き、あらかじめパッケージ化された宿題をやって暗記し、質問に答えるだけでは多くのことを学ばない。学生は、学んでいることについて話をし書き、過去の経験と関連付け、そして日常に応用しなければならない。さらにはそうしたことを通して、自分自身を学ぶというようにならなければならない。』[1]として、傾聴のみならず宿題や質問にとどまる学習の浅さを指摘している。話し、書き、そういった認知プロセスの外化を伴うような学習行動の総称をアクティブ・ラーニングと定義づけている初等中等教育および大学教育改革の潮流にあって、大学における学生の成功(Student Success)と学生参画(Student Involvement/Engagement)を促す教育方策を考える必要がある。

初年次学生(古くはFreshman、最近はFirst-Year Student)からの動機づけを高めるためには、多くの初年次学生が受講する「講義」での対話の手法を深化させることが肝要であろう。筆者が1月22日に筑波大学理工学群化学類の1~2年生を対象にした化学セミナーでの講演「いま、なぜ大学で化学を学ぶのか?アクティブ・ラーニング(能動的学習)論から考える大学教育・研究の未来」で行った、いくつかの対話を紹介したい。

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この化学セミナーは、最先端の化学研究に従事している講師による、最先端の化学の解説と質疑からなる。おそらく学習論についてのテーマは異例のものであったと思う。用いた資料は学内・各地の大学の教職員向けFD・SD研修会で使用しているものと同じで、クリッカーを使用した双方向のやり取りとペアワークで構成した。冒頭の問い「あなたは、現在の学生の学びについて、主体的・受身的のどちらに近いと思いますか?」に対しては、図1の結果になった。学生からのコメントなどを聞くと、興味をもって授業に参加している学生が予想以上に少ないことがうかがえる。専門課程の内容に入っていない初年次学生にとっては、高校から大学への移行の戸惑いやギャップが反映されていよう。現在の大学進学率の推移、大学教育の転換期にある政策を解説したあと、ペアをつくり「あなたにとって講義(大学)とは何か―大学で主体的に学ぶということ、とは?学ぶことで、どのような変化が起こるのか?」を題材に、2分の熟考の後、持ち時間2分ずつでパートナーとの話し合いを行った。その後、クラス全体で特徴的な回答を共有する。熟考の時間を取らずかつ突然に、クラス全体へ問いかけた場合は、ほとんど意見表明を得られない事態があるが、この方法では、発言の責任を個人ではなくペアが負うこと、そして口頭で表現する2分によって回答が整理されるために活発な議論を形成することが容易となる。これが協同学習(Cooperative Learning)の代表的な手法の一つ、「シンク・ペア・シェア」である。

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第2の問い「あなたは、授業(大学教育)を通じて、自分の人生に何%の影響を受けた(ている)と思いますか?」をクリッカーで集計した結果は図2となった。30%が最頻値となり大学での学びに肯定的な様子が見える一方で、5%~1%に回答した学生は3割にもなる。学生からは、講義だけでなく自ら学ぶこと、講義をきっかけにして主体的な学習が必要であることは分かっているものの大学教育も自分自身もその期待に沿えていないことへの戸惑いが表明された。

学生の成功と参画を早くから期待するために、我々が大学教育でなすことにはどのようなことがあるのであろうか。初年次生の抱負と実際のギャップを埋める方策(初年次教育ハンドブック,山田礼子監訳,丸善,2007年,p.50)の中で、米国の初年次教育の第一人者であるジョン・ガードナーは『われわれ大学人は、実際の入学者に対して責任があるのであって、来てほしいと願っているような学生にではない』とした上で『多くの大学が、大衆を教育するために存在しているにもかかわらず、新しく学生となるような彼らを「成功」に導くために学習環境の整備をおこなってはいない』と警告している。方策の一例として、イーロン大学[2]での事例を紹介したい。(同書p.51)

秋学期の最初に、大きな樫の木の下で、学長が入学してくる学生一人一人にドングリの実を手渡すのである。学長は、ドングリの実について、学生と同様、恵まれた環境に蒔かれると、大きくがっしりした樫の木になることを語る。春の卒業式も同じ場所で行われ、4年後、学長が再び初年時のオリエンテーションで配ったドングリの実について語ることによって、物語は完結する。そして、各卒業生は、樫の苗木を受け取る。この苗木が彼らのイーロンでの4年間の成長を象徴するものである。卒業生は、その苗木を適当な場所に植え、大きくがっしりした樫の木とするよう告げられる。その意味するところは、知性についても、人間性についても、成長は卒業とともに終わるのではなく、いつまでも続くということである。

 いま、なぜ大学で学問を修めるのか。再びこの問いを、学生へと、教師へと、そして社会へと問いかける対話を始めていきたい。

(文責 教育支援システム研究部門 杉森公一)



[1]A. W. Chickerning and Z. F. Gameson, “Seven principles for good practice in undergraduate ducation”, AAHE Bulletin, 39(7), 3-7 (1987).

[2]イーロンの物語は、多くの大学人を勇気づける示唆に富んでいる。ジョージ・ケラー、堀江未来監訳、『無名大学を優良大学にする力―ある大学の変革物語―(原題:Transforming a college)』、学文社、2004=2013 に詳しい。