【No.530】
障害学生への合理的配慮を考える-⑩障がい学生にとってのアクティブ・ラーニング-

○●○障害学生への合理的配慮を考える-⑩障がい学生にとってのアクティブ・ラーニング-○●○

 526号掲載のシリーズ前回で、神奈川工科大学について「キャンパスをユニバーサルデザインで設計するだけでなく、そこで学ぶ学生たち自身の行動(アクティブ・ラーニング)による素晴らしい教育の場が用意されています。新しい器に時代が求める精神を盛った大学に感銘を覚えました」

と紹介しました。

 ユニバーサルデザインとアクティブ・ラーニングとの融合は、決して簡単ではありません。それぞれに新しい考え方であり、別個に実践研究が続いています。その中で、両者の相互作用による発展の可能性について、本稿では考えてみます。

 障害者に優しい街づくりが、そこで暮らしそこを訪れるみんなにとって居心地が良くなる-独立行政法人科学技術振興機構社会技術研究開発センターの研究開発プロジェクト「自閉症にやさしい社会:共生と治療の調和の模索」http://www.ristex.jp/science/project/ooi.html のメンバーに入れていただいて、実際に学んだことでした。研究代表者の大井学先生(金沢大学人間社会研究域学校教育系教授)は、上記サイトに次のように書かれていました(強調:引用者)。

「研究代表者は、これまで、知的な遅れはないが自閉的特徴を示す子どもたちが、幼稚園・保育所での集団生活になじめず、学校でいじめ・不登校におちいったり、対人関係に悩み、自分を責め、はては児童期うつ病を発症したりする例に少なからず出会ってきました。順調に大学・大学院などを終えて就職した後、職場の人間関係に躓き、退社する優秀な人が自宅に引きこもる例もみてきました。

 科学的検証を待たねばならなりませんが、かつて日本社会でめだたなかった自閉症問題が猛烈な勢いで噴出してきているという見解に研究代表者は立っています。

 他方で、自閉症はその遺伝要因の寄与の高さから、世界中の遺伝学者・脳科学者の注目を浴び、自閉症の生物マーカー探索競争が始まり、薬物治療の現実性が浮上してきました。当事者や家族は事態の全容を見わたせないまま、不安を抱え、激流に翻弄されています。脳科学の進歩によって自閉症の人を「普通」にするのが賢明な選択なのか、当事者の苦しみをみると迷いは尽きません。早すぎる発見がもたらす親や当事者、関係者への望ましくない影響も懸念されます。

 何が妥当な対処なのか、答えは、研究者だけでなく、当事者や家族、幅広い現場の人々、企業や地域の人々の議論を通じた合意の中にしか見いだせないと考えるようになりました。金沢において市民と大学と行政の共同のテーブル「地域自閉症共生・治療共同体」を設置し、市民合意のコホート研究や自閉症に優しい社会づくりの促進を促すシステムを是非根づかせたいと考えています」

 熟議や会議や研究会などと並行して、市民との文字通りの共同・協働のテーブルが、たくさん創られました。保育園であったり、お寺であったり、美術館であったり・・・その中で今も継続しているのが、大学コンソーシアム石川の教室のある、しいのき迎賓館での自閉症サイエンスカフェです。最初は自閉症児の親御さんばかりでしたが、やがて、子どもさん自身や、社会人も含め当事者も参加されるようになりました。

 私が聴覚障害学生支援に携わるようになった時、ノートテイカー養成講座を開くために当地の県聴覚障害者協会を訪れることが何度かありました。障害学生支援は障害のこと、障害者のことを知ることから始まります。学生本人に最初から自らの障害について客観的に語ってもらうことは難しく、同じような診断名であってもいわゆる聞こえの程度は違うことを含め、素人の私には一からの学習が必要でした。そんな時に、何の支援も受けずに北海道大学を卒業された聴覚障害者に出会い、どれほど学業継続が難しかったか、また就職が困難であったのか、直接うかがうことになりました。何より衝撃的であったのは、同じ北大の聴覚障害の友人から「教室には眠るために来ていた。教員の声が聞こえなかったから。勉強は自宅で頑張る」と聞いたということでした。大学に居ても支援が無ければどうなるのか、高等教育を受けたことがその人の人生にどんな意味を持つのか、という問題を突き付けられました。支援では、障害と向き合い続ける卒業後の人生をも見据えることが大事だと知りました。ろう学校に行き、文化祭で子どもたちに接したのは一昨年のことでしたが、その時も、この子たちが大学に来るときにはもっと支援の質を上げねばと思いました。

 自閉症サイエンスカフェでは、小学校・中学校の自閉症児の教育の現状を、親御さんや教員の方たちから学びました。個々の教員の持つ教育力がどれほど大事なものなのか、観察し考えて支援や配慮をする、若い教員でも出来る人は出来るということです。意識しなければならないのは、子どもたちを能動的な学びにどう導いていくかということ。大学で今ようやく重要だと言われるようになったアクティブ・ラーニングを、自閉症の子どもたちを前にした小中学校の先生たちが当然のように追求していたのです。

 ともすれば授業でお荷物扱いされ、差別されかねない子どもたちに、どう学びの面白さを体験させるのか。グループ・ワークを授業で行うさいに、コミュニケーションに困難さを抱える学生を無視することなく、どう巻き込んでいくのか、という私たち大学教員に突きつけられた難問と同じです。小中学校や高校との連携ができない状況にあっても、最低限、この学生が例えば10年間どのような教育を受け、他の子どもたちと同じように学べていたのかどうか、想像することによって、苦手なところに無理に追い込むようなことはしないようになるはずです。

 聴覚障害学生への情報保障や教員による配慮の多くは、他の受講生にとっても優しい授業の設計へとつながりました。授業内容を受け取りやすい形で学生に届けることは、教員の義務です。聞こえない説明や、読めない板書によって、内容を理解しろというのは無茶な話ですが、それがちゃんと公に指摘できるようになったのは、最近のことなのです。聴覚障害学生の入学によって、それぞれの大学で本当の意味のFDやSDが始まることになったはずです。

 これからの大学で必要なことは、アクティブ・ラーニングや授業の英語化が、大学教育のユニバーサルデザイン化にどう貢献するかを考えることです。一人の障害学生が全ての学生の学び易さを導き、大学教育改革に貢献したのですから、その逆に、新しい大学教育の手法や潮流が、どのように障害学生の学びに意味があるのか、どのような工夫や配慮が必要で全学生のアクティブ・ラーニングが可能になるのか、私たちが回答してみせなければなりません。教員自身の課題発見能力・解決能力がここでこそ問われることになります。(なお、526号(2014年12月1日発行)で、「⑧神奈川工科大学のユニバーサルデザイン」としましたが、正しくは⑨でした。訂正します。)

(文責:教育支援システム研究部門 青野 透)