【No.502】
障害学生への合理的配慮を考える-その③ 聴覚障害学生支援が促す授業改善-

○●○障害学生への合理的配慮を考える-その③ 聴覚障害学生支援が促す授業改善-○●○

 「班のメンバーと外で話していたときは、全然考えが出て来なくて、皆『うーん』と困っていたのですが、書き出してみると、意外とすらすらと新たな考えが出て来て、考えを書きだすことの大切さをまず学びました。」共通教育科目「社会的コミュニケーション入門-新たな価値を創造するコミュニケーション-」受講生ミニッツペーパーからの引用である。

授業は竹内慶至・特任助教(『自閉症という謎に迫る研究最前線報告』小学館新書、2013年、の編著者)と二人で担当している。普段は、総合メディア基盤センターのアクティブラーニング教室で行っているが、この日(5月13日)は、薫風の季節ということもあり、学生たちを建物前の草はらに連れ出し、野外のグループワークから始めた。緑陰での意見交換を経て、教室に入り、14名の受講生がグループごとに、ホワイトボードの壁3面に意見を書き連ねていく。・・・いつでもどこでもアクティブな思考ができることを学生に体験してもらうことが狙いである。ネット上の授業ではない。せっかく集まっているのだから、教室内にとどまる必要はない。また、教室の中だけでしか考えられないような学生を育てるべきではないことは指摘するまでもないだろう。

 さて、連載前号で、「障害学生がいることを前提とした授業設計・教室運営、さらには大学運営が求められていると考えられる(詳細は、5月31日(土)、名古屋大学で開催される大学教育学会第36回大会公開シンポジウム「大学教育改革につながる実践的知識の共有」で報告する)。連載次回は、聴覚障害学生支援の意義を再確認する。」と記した。当日、豊田講堂での参加者に、報告と質疑応答で私が話したのは以下のような内容であった。

 教員はなぜ、自分の授業を改善しようと思うのか。

大学設置基準「(教育内容等の改善のための組織的な研修等)第二十五条の三 大学は、当該大学の授業の内容及び方法の改善を図るための組織的な研修及び研究を実施するものとする。」を理由に持ち出す人がいるかもしれない。文部科学省の調査結果でも、全ての大学が組織的研修FDを行っている。当センターのようなFDセンターなどで組織的研究も行われている。京都大学で行われているような相互研修型FDなどもある。法的にはそれでよい。だがFDは、大学に課された義務であって、個々の教員のそれではない。

問題は、個々の授業で実際にどのように「内容及び方法の改善」が行われ、個々の教員の気づきや工夫を生み出しているか、さらには、それが他の教員と共有され、共同の研究に結実しているかである。結果として組織的な研究になっているかである。したがって、組織の問題と併せて、原点に立ち戻って、教員一人一人が最終的には自分が自分の授業を改善するしかないと腹を括るのはどういう場合かを確認するということが大切だと思う。学会公開シンポジウムという場で、まず私自身が極私的な経験を話そうと考えた理由はそれだった。

公開されている金沢大学ウェブシラバスで「青野」「通年もしくは前期」で検索すると、今期10コマの授業を担当していることが分かる(うち博士後期科目は受講生ゼロ)。学外非常勤が2コマあるので、今年度前期は11コマの授業担当である。こうした授業経験を30年近くの教員生活で積んできたが、いまだに試行錯誤が続き、停年まで後4年、授業中の一喜一憂を繰り返すことになるのだろう。そんな私が他の教員に話すべきことがあるとすれば、目の前の学生に向き合えば自ずと改善意欲は出てくる、実際に私の場合は、一人の聴覚障害学生との出会いがその後の授業に向かい合う姿勢を変えてくれたということである。

2004年4月に、聴覚障害の新入生がなんでも相談室にやってきた。本学で初めての授業情報保障が始まることになった。他の大学同様、混乱の中での障害学生支援であった。

それまでも私は、授業改善の試みは行っていた。「法学教育における授業内容・方法改善の試み-法科大学院創設にあわせて-」を『金沢法学』46巻2号に掲載したのは2004年3月である。法学部教授時代にミニッツペーパーを使った授業を始めたことなどを報告している。方法だけでなく、授業内容の改善も意識していた。だが、聴覚障害学生への授業情報保障は、そうした授業改善の努力そのものの限界を、目前に突き付けてくることになったのである。

聴覚障害学生への授業情報保障の取組を行った経験のある教職員であれば理解してもらえるであろうが、100%の授業情報保障は出来ない。私も当初はこれが歯がゆかった。本学でのノートテイカーの数や技量に問題があるからだ、それをなんとかしなくてはと思った。だが、だんだんと、そもそも100%の授業情報保障などあり得ないのだ、気付くようになった。

授業情報保障の目的を完全な量と質のそれに置くとすれば、授業担当者自身が手話を身に付け、話しながら手話をするしかないだろう。それは出来ない。

そして、そもそも授業一般で、教員が用意した90分の授業内容を、受講生に100%伝えることは不可能であるという事実にも気が付いたのである。

聴覚障害学生への授業情報保障では、教員自身がゆっくりと話す、ノートテイカーが書き終わったのを確認するなどの配慮を行うために、授業情報量そのものは減ることになる。伝える内容が厳選されねばならない。だが、内容量を減らしても100%の情報伝達は不可能なのである。

聴覚障害学生の受講の有無を問わず、授業内容を全て学生に伝えきるように努力している教員たちの営みを否定するつもりはない。

ただし、私は、それができなければだめだという思い込みから抜け出ることができた。教えることは、伝えることと同じではない(90分の授業内容を全て文字化して渡すことは、無謀であって、無駄である)。学生たちに、例えば、憲法の授業であれば、ある条文の意味や、ある判例の内容を理解してもらう。資料を配り、パワーポイントを使って、口頭で説明する。このやり方のままでは、いつまでたっても、授業効果に限界がある。

学生たちに授業内容を理解してもらうためには、学生自身にその内容の重要性に気が付いてもらうのが一番である。動機付けの重要性である。その後、科研で研究課題「学習意欲を高める授業科目が教育成果全般に及ぼす影響とその評価」期間:2008年度~2012年度にも取り組むことになった。学生自身に考えてもらい発言してもらうグループワークの重要性、また、授業外学習で予習をしてもらうことの重要性の認識に到達するのは当たり前の結論であった。

冒頭に紹介した、緑陰グループワークでも、予習テーマを課して1週間考えてくるように学生たちに指示していたのはいうまでもない。何を目標に授業をするのか、今一度考えなおせば、無理をしないFDの発見があるかもしれない。

(文責:教育支援システム研究部門 青野 透)